その夜、ベルリンに降り注いだ爆弾は破壊のためだった——しかし結果として、ホロコーストの最も決定的な証拠を後世に残すことになった。

国会議事堂の秘密が燃えた夜

連合軍の爆撃機が偶然にもナチスの犯罪を歴史に刻んだ経緯

連合軍の爆撃が偶然にも、SS将校たちが必死に焼却しようとしていたナチスのホロコースト記録を保存する結果となった。

1945年4月12日の夜、ベルリンの空はオレンジ色に染まっていた。イギリス空軍のランカスター爆撃機が次々と対空砲火の閃光が走る闇夜を轟音とともに突き進み、すでに半ば瓦礫と化した都市へ向けて爆弾を投下していた。その混乱の最中、プリンツ・アルブレヒト通りにある国家保安本部の地下室では、予想外の出来事が起きていた。

SS将校たちは蝋燭の明かりの下で必死に働き、燃やしきれないほどの書類を焼却炉に次々と投げ込んでいた。それは普通の書類ではなかった——ホロコーストの綿密な記録、強制移送リスト、アインザッツグルッペンの報告書、大量虐殺を支えた官僚機構の文書だった。ゲシュタポ長官ハインリヒ・ミュラーは数日前に焼却を命じていた。だが連合軍は、ドイツの効率性よりも速かった。

午前2時47分、焼夷弾の一群が隣接する建物に命中し、壁が崩壊して地下室の入口が数トンもの瓦礫の下に埋もれた。SS将校たちは非常用トンネルから逃走し、数千もの文書は焼かれることなく埋葬された。ベルリンを破壊するはずだった爆弾が、皮肉にも恐怖のタイムカプセルを封印したのだ。

17歳の国民突撃隊徴集兵ハンス・ケルナー二等兵は、後にアメリカの尋問官にその光景をこう語った。「彼らはネズミのように逃げました。一人の将校が『書類が、書類が』と叫んでいました。もう誰も気にしていませんでした。ソ連軍の砲声が聞こえていたのです。」

💡 回収された文書の中には、強制収容所の犠牲者から採取した歯の詰め物の正確な金含有量を計算したナチスの会計士の手帳があった——あまりに決定的な証拠であったため、ニュルンベルク裁判の被告の一人が自殺を図ったほどだった。