16世紀で最も正確な観測眼を持つ男は、鼻を失った人物だった。

栄光から転落した天文学者:ティコ・ブラーエへの皇帝の召喚状

プラハでの春のある日、亡命中のデンマーク人天文学者は、天文学の歴史を永遠に変える一通の手紙を受け取った

1600年5月10日、ティコ・ブラーエが皇帝に任命されたことで、惑星運動の法則を解き明かす運命の協力関係が始まった。

1600年5月10日、神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の封蝋が押された手紙がベナトキ城に届いた。ティコ・ブラーエの手は震えていた——老いのためではない、雪辱を果たした喜びからだった。天を彷徨う放浪者のごとくヨーロッパ中をさまよった3年間の末に、存命する最も偉大な観測天文学者は、ついに最も渇望していたものを手に入れたのだ。皇帝による終身の庇護を。

その召喚状を読んだ男は、並の学者ではなかった。ティコは20歳のとき、数学の公式をめぐる決闘で鼻を失い、生涯にわたって金と銀の合金で作られた義鼻を装着していた。彼はデンマーク王フレデリク2世から賜った島に、世界がかつて目にしたことのない最先端の天文台「ウラニボリ」を建設した。自ら設計した巨大な真鍮製の四分儀や六分儀——当時存在したいかなるものをも凌駕する器具——を用いて、かつてない精度で千もの星を記録した。

しかし、デンマークとの関係は悪化していた。フレデリクが崩御すると、息子のクリスチャン4世はティコへの資金援助を大幅に削減し、誇り高き天文学者を辱めた。1597年、ティコは20年分の観測記録を箱に詰め込み、国を逃れた。観測機器、印刷機、そして風変わりな家族——宮廷道化師を務めるイェップという小人や、後に酔って階段から落ちて死ぬことになる飼いならされたヘラジカ——を引き連れて。

ルドルフからの手紙は、すべてを変えた。錬金術とオカルトに取り憑かれた憂鬱な皇帝は、ティコの中に同志の魂を見出したのだ。任命には年俸3,000フローリンという寛大な報酬と、ボヘミアの3つの城からいずれかを選ぶ権利が付随していた。さらに重要なことに、ティコは生涯の仕事を完成させるための資源を手に入れたのだ。

💡 ティコが飼っていたヘラジカは、貴族の晩餐会でビールに酔い、階段から転落して死んだ——この事実は天文学者自身の書簡に記録されている。