アゴラに響く尖筆で陶片を刻む音は、まるで一万の陰謀がささやき合うようだった。

アテナイが民主制を守るため最も偉大な将軍を追放した日

6,000枚の陶片がキモンを追放し、帝国を変貌させた

アテナイは割れた陶片を投票用紙として使い、最も偉大な戦争の英雄を追放した。それが思いがけず急進的民主制の幕開けとなった。

アゴラに響く尖筆で陶片を刻む音は、まるで一万の陰謀がささやき合うようだった。紀元前461年の春、アテナイの市民たちは指導者を選ぶためではなく、一人の男を葬り去るために集まっていた。

キモンは民会の広場の端に立ち、風雪に刻まれたその顔には何の感情も浮かんでいなかった。50歳にして、彼はエウリュメドン河畔の戦いでペルシア艦隊を撃滅し、アテナイの国庫を貢納金で満たし、戦利品で城壁を再建した。今、彼が富ませたその市民たちが、彼の名を割れた陶片——オストラカ——に刻んでいた。追放の投票用紙に。

陶片追放への流れは数か月前から高まっていた。キモンの致命的な過ちは軍事的なものではなく、政治的なものだった。スパルタでヘイロータイが反乱を起こし、窮地に陥ったスパルタ人がアテナイに援軍を求めた時、キモンは自ら四千の重装歩兵を率いて南へ向かった。彼は屈辱を味わって帰還した。民主主義の思想が同盟者に感染することを恐れたスパルタ人は、アテナイ軍を招かれざる客のように追い返したのだ。

エフィアルテスとその若き弟子ペリクレスは、この機を逃さなかった。急進民主派の語りによれば、キモンはスパルタの協力者であり、自分の息子にラケダイモニオス——「スパルタ人」——という名をつけた男だった。その貴族的な立ち居振る舞い、スパルタ王たちとの友誼、その美徳そのものが裏切りの証拠とされた。

💡 考古学者たちは、キモンの名が刻まれた多くのオストラカが同じ少数の人物によって書かれていたことを発見した。これは、政治工作員が支持者にあらかじめ記入された投票用紙を配布する、古代の「投票呼びかけ」運動の存在を明らかにしている。