ローマの書斎でゆらめく灯火のもと、老いた提督は死と競うように、自然界のすべてを言葉に刻もうとしていた。

大プリニウスが宇宙を記録した日

ローマの提督はいかにして古代世界初の自然百科事典を創り上げたか

大プリニウスは史上初の自然百科事典を完成させ、その二年後、ヴェスヴィオ火山の調査中に命を落とした。

コムム近郊のローマ式邸宅で、夜明け前の闇の中、油灯がゆらめいていた。その光は、山と積まれたパピルスの巻物、蝋板、走り書きのメモの上に影を落としていた。ガイウス・プリニウス・セクンドゥス——歴史に大プリニウスとして知られるこの男——は、輿に乗って街路を移動しながら、入浴しながら、食事をしながら、秘書に口述筆記させていた。眠りなど、彼にはほとんど許されない贅沢だった。時は西暦77年。古代世界がかつて試みた中で最も野心的な知的事業が、ついに完成の時を迎えようとしていた。

プリニウスは人生最後の十年間を費やし、百人の著者による二千巻以上の書物を読み込み、人類の知識の総体を三十七巻に凝縮した。西暦77年5月下旬頃に完成し、後の皇帝ティトゥスに献呈された彼の『博物誌』は、人類初の真の百科事典となり、自然界に対するローマ人の探究心を示す記念碑となった。

その範囲は驚くべきものだった。宇宙論と天文学、地理学と民族誌、人体生理学、動物学、植物学、薬学、鉱物学、そして美術史。プリニウスは千種以上の植物の薬効を記録した。象を分類し、オーロラを描写し、自ら実見したギリシャ彫刻家たちの技法を詳述した。インドの胡椒、中国の絹、バルト海の琥珀について記し——既知の世界の驚異を執念深いまでの精密さで地図に刻んだ。

六十歳の海軍司令官を、これほどまでに過酷な労働へと駆り立てたものは何だったのか。プリニウス自身がその答えを残している。「生きるとは、目覚めていることだ」と。彼の甥、小プリニウスは、後に叔父の日課を畏敬の念を込めて回想している。大プリニウスは、読書をしているか、誰かに読み聞かせてもらっていない時間はすべて無駄だと考えていた。あるとき、朗読者の発音の誤りを正そうとした友人を叱責したことさえあった。失われた時間を惜しんでのことだ。

💡 プリニウスは、自らの百科事典には百人の著者による二千冊の書物から引き出した二万の事実が含まれていると計算し、そのすべての出典を記録した。これにより彼は、適切な引用を実践した歴史上最初の人物の一人となった。