1595年6月12日の朝、ドナウ川は川には見えなかった——動く海のようだった。
ドナウ川がウィーンの夏を溺れさせた日
中央ヨーロッパの大河が殺戮の凶器と化した時
1595年、ドナウ川は壊滅的な洪水を引き起こしてウィーン郊外を水没させ、ハプスブルク家の首都に対する考え方を永遠に変えた。
1595年6月12日の朝、ドナウ川は川には見えなかった。動く海のようだった。
三日間にわたり、オーストリアの大動脈に注ぐアルプスの水源地帯を豪雨が叩きつけていた。異例に厳しかった遅い春の雪がバイエルン高地で一斉に溶け、支流であるイン川、トラウン川、エンス川は怪物のように膨れ上がった。この水の壁がウィーンに到達した時には、村々を丸ごと飲み込んでいた。
ハプスブルクの首都にいた年代記作者たちは、聖書に描かれるような恐怖の光景を記録した。普段はドナウアウエン氾濫原の編み込まれた水路に収まっている川は、6月11日の夜を通して恐ろしい速さで水位を上げた。12日の夜明けには、レオポルトシュタット地区——ドナウ川本流とその分流に挟まれたウィーンの島状の郊外——は屋根だけが点在する群島と化していた。
偉大な銀行家一族の末裔でウィーン在住のハンス・ヤコブ・フッガーは、アウクスブルクにいる従兄弟に宛てて書いた。「水は水として来たのではなく、騎兵隊のように来た——迅速に、予告なく、そして容赦なく。」バイエルン州立文書館に保存されているフッガー家書簡の中のこの手紙には、二階の窓の前を流されていく家畜たちの姿が記されており、その鳴き声は川の轟音にかき消されたという。
💡 クレムスで塔から引きちぎられた教会の鐘が、洪水の恐るべき力によって40キロメートル下流の樫の木に引っかかった状態で発見された。