バズーカ弾はソ連製戦車に直撃した——そして水面を跳ねる石のように、朝鮮の空へと跳ね返っていった。

朝鮮の最初の朝:アメリカ兵がT-34戦車と遭遇した時

スミス特務部隊、共産主義の波に対する運命の抵抗

アメリカ初の朝鮮戦争での戦闘は、旧式のバズーカ砲がソ連製戦車に跳ね返されるという屈辱的な敗北に終わった。

雨は何時間も降り続いていた。チャールズ・ブラッドフォード・スミス中佐がその轟音を聞いた時のことだ。1950年7月5日——しかし、アメリカ地上軍にとっての真の戦争は6月25日、北朝鮮の戦車隊が38度線を越えた時に始まっていた。それから10日後、スミスの率いる540名の兵士たちは韓国・烏山近郊の泥だらけの塹壕に身を潜めていた。アメリカがこの新たな戦争にいかに準備不足であったか、彼らは今まさに思い知ることになる。

スミス特務部隊は「仕掛け線」となるはずだった——北朝鮮軍に二の足を踏ませるためのアメリカの決意を示す存在として。しかし彼らは、生贄となった。朝もやの中から33両のソ連製T-34戦車が姿を現した時、アメリカ兵は手持ちのあらゆる武器で応戦した。だが、彼らの2.36インチバズーカ砲——第二次世界大戦の余剰品——は戦車の装甲に跳ね返されるばかりだった。砲弾はただ灰色の朝鮮の空へと跳ね飛んでいった。

ウェストバージニア州スキンフォーク出身の19歳、一等兵ケネス・シャドリックは、塹壕から顔を出してバズーカ弾が戦車に命中するのを見ていた。機関銃の一斉射撃が彼を撃ち倒した。彼は朝鮮戦争で戦死した最初のアメリカ兵となった——この悲しい記録は後に何十年にもわたり歴史家たちの間で議論されることになるのだが。

T-34戦車群はアメリカ軍の陣地を、まるでそこに何も存在しないかのように突破していった。その後ろからは数千の北朝鮮歩兵が続いた。スミスの部隊が持っていた戦車装甲を貫通できる105mm榴弾砲はたった1門、砲弾はわずか1,200発だった。18分で全弾を撃ち尽くした。

💡 アメリカ軍の2.36インチバズーカ砲はT-34戦車に対してあまりにも無力で、砲弾が文字通り跳ね返って発射した兵士の方へ飛んでくることもあった。これにより、より新型の3.5インチモデルを求める切迫した要請が殺到した。