ヴィクトリア湖のワニは、彼らの問題の中で最も小さなものだった。

イスラエルがエンテベから人質を救出した夜

100人のコマンド部隊が2,500マイルを飛び、ウガンダの中心部へ

イスラエルは2,500マイル先での不可能な救出作戦を承認し、建設会社から入手した設計図を頼りにそれを成し遂げた。

エールフランスのエアバスは、エンテベ空港の滑走路に6日間駐機したままだった。古いターミナルビルの中では、106人の人質—そのほとんどがイスラエル人とユダヤ人の乗客—が、パレスチナ人とドイツ人のハイジャック犯の銃口の下、イディ・アミンのウガンダ兵に囲まれながら待っていた。外では、ヴィクトリア湖にワニが漂っていた。期限は迫っていた。イスラエルには7月4日までに53人の収監中の過激派を釈放する猶予が与えられていた。さもなければ、処刑が始まる。

1976年6月29日の夜、イスラエル国防大臣シモン・ペレスは緊急閣議を招集した。情報は意外な情報源から少しずつ届いていた。解放された非ユダヤ人の人質たちがパリで事情聴取を受け、記憶を頼りにターミナルの見取り図を描いていたのだ。1960年代にその古いターミナルを建設したイスラエルの建設会社は、まだ当時の設計図を保管していた。ケニアにいたモサドの工作員たちは、数日間エンテベを監視し続けていた。

計画は狂気の沙汰と言えるほど大胆だった。4機のハーキュリーズC-130輸送機が敵対的な空域を2,500マイル飛行し、ケニアで給油した後、敵国が支配する滑走路に夜間、探知されることなく着陸する。突撃部隊が地上にいられる時間は、わずか53分だった。

突撃部隊を指揮するヨナタン・ネタニヤフ中佐は、ターミナルの設計図を取り憑かれたように研究した。彼の弟ベンヤミン—後の首相—は当時ボストンで一般市民として暮らしており、兄が軍事史家たちが後に「近代史上最も大胆な人質救出作戦」と呼ぶことになる任務の準備をしていることを知る由もなかった。

💡 イスラエルのコマンド部隊はイディ・アミンの車列を偽装するため黒いメルセデスのセダンを使用したが、彼らはアミンの新型モデルに合わせて塗装した—アミンが最近白いメルセデスに乗り換えていたことを知らず、あやうく正体がばれるところだった。