11年もの間、ヤコポ・ダ・ポントルモはフィレンツェの教会に自らを閉じ込め、誰にも見せることを許さない傑作を描き続けた。
己が芸術を証明するために死んだ画家:ヤコポ・ダ・ポントルモ、最後のフレスコ画
足場の上でたった一人、ルネサンスの巨匠は描きながら虚無へと消えていった
ポントルモは11年をかけて秘密の傑作を描いたが、その作品は破壊され、彼自身は足場の上で孤独に息を引き取った。
サン・ロレンツォ教会の聖歌隊席には、生乾きの漆喰の匂いが漂っていた。フィレンツェでポントルモの名で知られるヤコポ・カルッチは、おそらく最後となる登攀のために足場をよじ登った。1556年、夏の終わり。62歳のこの画家は、11年もの間この教会に自らを封じ込め、生きている者には誰一人として見せることを許さない「最後の審判」の幻視で、取り憑かれたように壁を埋め尽くしてきたのだ。
彼は作業場の周囲に木製の囲いを築いていた。それは秘密の繭であり、パトロンであるコジモ1世・デ・メディチ公でさえ困惑させるほどだった。好奇心に駆られた訪問者が近づくと、ポントルモは梯子を引き上げ、決して降りようとしなかった。数世紀後に発見された彼の日記には、孤独と儀式に取り憑かれた男の姿が記されていた。食事の内容、排便の記録、夢の詳細、そして何よりも、このフレスコ画が自らの心に燃える幻視に決して追いつけないのではないかという恐怖が、几帳面に綴られていた。
「今日はサラダと卵を二つ食べた」と、ある8月の夕べに彼は書いている。「上隅の人物の腕を描いた。色が気に入らない」
ポントルモは、同世代で最も称賛されたマニエリスム画家の一人であった。サンタ・フェリチタ教会の『十字架降下』は、あり得ない色彩と宙に浮かぶ人物像によって、彼をミケランジェロの真の後継者として確立させた。しかし晩年、彼の内で何かが変わった。この「最後の審判」こそが自分の遺言となり、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂への回答となるのだと、彼は確信するようになった。
💡 ポントルモの日記には、芸術的な進捗と並んで、食事や排便の記録が執拗なまでに綴られており、史上最も奇妙な芸術家の日記の一つとなっている。