一人の若き政治家のもとに、母からの手紙が届いた。その一通が、アメリカで誰が投票できるかを永遠に変えることになる。

合衆国憲法修正第19条:女性たちが勝ち取った選挙権

テネシー州の決定票が72年に及ぶ参政権獲得闘争に終止符を打つ

1920年8月18日、合衆国憲法修正第19条が批准され、アメリカの女性に選挙権が認められた——72年にわたる運動の集大成であった。

1920年8月18日、テネシー州下院は合衆国憲法修正第19条の批准に向けた決定的な投票を行った。この修正条項は、性別を理由に投票権を否定することを禁じるものであった。投票結果は49対47。決定票を投じたのは、24歳の若き州議会議員ハリー・バーンだった。彼は反対票を投じると見られていたが、その朝、母から届いた手紙に「良い子でいなさい」と批准に賛成するよう促されていたのである。

修正第19条は、1848年のセネカ・フォールズ会議から始まった72年に及ぶ運動の集大成であった。その会議で、エリザベス・ケイディ・スタントンらは女性参政権を求める「所感の宣言」を起草した。この歴史的瞬間に至るまで、参政権運動家たちは数十年にわたり組織活動、請願運動、デモ行進、ハンガーストライキ、そして投獄さえも経験してきたのである。

しかし、この勝利は不完全なものだった。修正第19条は形式上、ほとんどの女性に選挙権を与えたが、南部諸州の黒人女性たちは、人頭税、識字テスト、そして暴力によって組織的に選挙権を剥奪され続けた。この状況は1965年の投票権法が成立するまで、さらに45年間続いたのである。また、先住民族の女性たちは1924年まで市民権(そして投票権)を得ることができなかった。

それでもなお、この修正条項の成立はアメリカの民主主義を大きく変えた。女性は潜在的な有権者の半数以上を占め、彼女たちの選挙権獲得は選挙政治から医療、教育、労働に関する公共政策に至るまで、あらゆる分野に影響を与えることとなった。

💡 修正条項を批准へと導いたハリー・バーンは、母からの手紙を生涯大切に持ち続けた。母はこう書いていた。「良い子でいることを忘れずに、キャット夫人が『批准(ratification)』にネズミ(Rat)を入れる手助けをしてあげなさいね」